久し振りに「赤レンガ」以外のネタを。
4日後(31日)の24時をもって歩道部分の閉鎖が決定している、JR城東貨物線の淀川橋梁(赤川鉄橋)でございます。
人が渡れる最後の日曜日となった本日、晴天に誘われて渡りおさめに行ってきました。
予想通り現地は大勢の人で大混雑。
鉄橋の端から端まで、カメラやスマホを構えた人達で鈴なりでありました(笑)
幸い列車はほぼ予定通りに通過。
大勢のギャラリーに見送られて、貨物列車が轟音とともに花道を駆け抜けていきました。
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2013年10月27日日曜日
松山聖アンデレ教会礼拝堂・・・赤レンガ巡礼【52-2-1】
2013年5月5日。
52回目の巡礼、後半は松山市内から。
松山聖アンデレ教会礼拝堂。
松山地方気象台の向かいに建つ教会の礼拝堂ですが、昭和の半ばに建てられた比較的新しい物件という事もあって、過去何回か松山を訪れた際は無視しておりました。
ただ、よくよく考えてみれば、新しいといっても築60年弱。
松山市内の数少ないレンガ建築として、それなりに貴重な存在なのは間違いありません。
【名称】松山聖アンデレ教会礼拝堂
【住所】愛媛県松山市南持田町
【建築年代】1956年
【訪問日】2013年5月5日
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52回目の巡礼、後半は松山市内から。
松山聖アンデレ教会礼拝堂。
松山地方気象台の向かいに建つ教会の礼拝堂ですが、昭和の半ばに建てられた比較的新しい物件という事もあって、過去何回か松山を訪れた際は無視しておりました。
ただ、よくよく考えてみれば、新しいといっても築60年弱。
松山市内の数少ないレンガ建築として、それなりに貴重な存在なのは間違いありません。
【名称】松山聖アンデレ教会礼拝堂
【住所】愛媛県松山市南持田町
【建築年代】1956年
【訪問日】2013年5月5日
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2013年10月25日金曜日
旧大浜灯台吏員退息所・・・赤レンガ巡礼【52-1-9】
2013年5月4日。
この日最後は今治市から。
旧大浜灯台吏員退息所。
かつて来島海峡の安全を守っていた大浜灯台の吏員退息所として使われていた建物。
吏員退息所とは聞き慣れない言葉ですが、簡単に言うと職員宿舎の事なんだとか。
灯台解体に伴い移築され、現在は白い砂浜が広がる唐子浜にて海の家的な使われ方をしております。
【名称】旧大浜灯台吏員退息所
【住所】愛媛県今治市古国分
【建築年代】1902年
【訪問日】2013年5月4日
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この日最後は今治市から。
旧大浜灯台吏員退息所。
かつて来島海峡の安全を守っていた大浜灯台の吏員退息所として使われていた建物。
吏員退息所とは聞き慣れない言葉ですが、簡単に言うと職員宿舎の事なんだとか。
灯台解体に伴い移築され、現在は白い砂浜が広がる唐子浜にて海の家的な使われ方をしております。
【名称】旧大浜灯台吏員退息所
【住所】愛媛県今治市古国分
【建築年代】1902年
【訪問日】2013年5月4日
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2013年10月21日月曜日
旧広瀬邸馨原文庫・・・赤レンガ巡礼【52-1-8】
2013年5月4日。
旧別子銅山エリアから麓の新居浜市街へ下ってきました。
向かったのは市街南部にある旧広瀬邸。
と言っても、お目当ては邸宅そのものではなく、その敷地内に建つレンガの書庫なのは言うまでもありません。
旧広瀬邸馨原文庫。
建物そのものは小規模でさほど驚く事はありませんが、軒の形状が独特で、自分が知る限りこのような意匠の物件は他に知りません。
惜しむらくは周囲の木々が邪魔をして、全体をきれいに写真に収められないのが残念ではあります。
因みにこの書庫がある旧広瀬邸は「住友家の初代総理人であった広瀬宰平が建てた邸宅」との事なので、直接ではありませんが、広い意味でここも旧別子銅山関連の物件と言えるのではないでしょうか。
【名称】旧広瀬邸馨原文庫
【住所】愛媛県新居浜市上原
【建築年代】1923年
【訪問日】2013年5月4日
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旧別子銅山エリアから麓の新居浜市街へ下ってきました。
向かったのは市街南部にある旧広瀬邸。
と言っても、お目当ては邸宅そのものではなく、その敷地内に建つレンガの書庫なのは言うまでもありません。
旧広瀬邸馨原文庫。
建物そのものは小規模でさほど驚く事はありませんが、軒の形状が独特で、自分が知る限りこのような意匠の物件は他に知りません。
惜しむらくは周囲の木々が邪魔をして、全体をきれいに写真に収められないのが残念ではあります。
因みにこの書庫がある旧広瀬邸は「住友家の初代総理人であった広瀬宰平が建てた邸宅」との事なので、直接ではありませんが、広い意味でここも旧別子銅山関連の物件と言えるのではないでしょうか。
【名称】旧広瀬邸馨原文庫
【住所】愛媛県新居浜市上原
【建築年代】1923年
【訪問日】2013年5月4日
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2013年10月17日木曜日
旧別子銅山東平第三変電所・・・赤レンガ巡礼【52-1-7】
2013年5月4日。
旧別子銅山関連最後も東平地区から。
因みに今頃言うのもなんですが、「東平」と書いて「とうなる」と読みます。
知っていなければちょっと読めませんね。
旧別子銅山東平第三変電所。
マイン工房等があるメインの地区から少し離れた場所に建つかつての変電所。
2番目の写真を見ればわかりますが、元々は手前にも建物があったようです。
ここは自由に建物内に入れますが、内部は特に手入れもされておらず、廃墟っぽい雰囲気のまま残されているのが何ともいい感じです。
【名称】旧別子銅山東平第三変電所
【住所】愛媛県新居浜市立川町
【建築年代】1904年
【訪問日】2013年5月4日
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旧別子銅山関連最後も東平地区から。
因みに今頃言うのもなんですが、「東平」と書いて「とうなる」と読みます。
知っていなければちょっと読めませんね。
旧別子銅山東平第三変電所。
マイン工房等があるメインの地区から少し離れた場所に建つかつての変電所。
2番目の写真を見ればわかりますが、元々は手前にも建物があったようです。
ここは自由に建物内に入れますが、内部は特に手入れもされておらず、廃墟っぽい雰囲気のまま残されているのが何ともいい感じです。
【名称】旧別子銅山東平第三変電所
【住所】愛媛県新居浜市立川町
【建築年代】1904年
【訪問日】2013年5月4日
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2013年10月14日月曜日
旧別子銅山東平貯鉱庫及び索道停車場・・・赤レンガ巡礼【52-1-6】
2013年5月4日。
前回に引き続き東平地区から。
駐車場を挟んでマイン工房と反対側、斜面を下った中腹にかつての貯鉱庫と索道停車場の遺構が残されています。
貯鉱庫は文字通り鉱石を一時保存するための施設。
索道は鉱石の運搬にとどまらず、生活に必要な物資等の運搬にも活躍したそうでございます。
向かって左上が貯鉱庫、真ん中右寄りが索道停車場。
地元では東洋のマチュピチュとして観光PRされております。
【名称】旧別子銅山東平貯鉱庫及び索道停車場
【住所】愛媛県新居浜市立川町
【建築年代】1905年頃
【訪問日】2013年5月4日
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前回に引き続き東平地区から。
駐車場を挟んでマイン工房と反対側、斜面を下った中腹にかつての貯鉱庫と索道停車場の遺構が残されています。
貯鉱庫は文字通り鉱石を一時保存するための施設。
索道は鉱石の運搬にとどまらず、生活に必要な物資等の運搬にも活躍したそうでございます。
向かって左上が貯鉱庫、真ん中右寄りが索道停車場。
地元では東洋のマチュピチュとして観光PRされております。
【名称】旧別子銅山東平貯鉱庫及び索道停車場
【住所】愛媛県新居浜市立川町
【建築年代】1905年頃
【訪問日】2013年5月4日
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2013年10月13日日曜日
マイン工房・・・赤レンガ巡礼【52-1-5】
2013年5月4日。
旧別子銅山関連その3は東平地区から。
麓の端出場地区から車で上る事約30分。
東平地区はかつて別子銅山の中心地として栄え、1968年に撤退するまで多くの関係者で賑わったそうでございます。
マイン工房。
かつて保安本部として使用されていた建物。
現在は観光拠点のひとつとして、銅版レリーフ作り等の体験工房として活用されております。
【名称】マイン工房/旧別子銅山保安本部
【住所】愛媛県新居浜市立川町
【建築年代】1904年頃
【訪問日】2013年5月4日
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旧別子銅山関連その3は東平地区から。
麓の端出場地区から車で上る事約30分。
東平地区はかつて別子銅山の中心地として栄え、1968年に撤退するまで多くの関係者で賑わったそうでございます。
マイン工房。
かつて保安本部として使用されていた建物。
現在は観光拠点のひとつとして、銅版レリーフ作り等の体験工房として活用されております。
【名称】マイン工房/旧別子銅山保安本部
【住所】愛媛県新居浜市立川町
【建築年代】1904年頃
【訪問日】2013年5月4日
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