2012年8月15日。
この日最後は名古屋市西区のノリタケの森を訪ねました。
と言っても、ここにあるメジャーな物件は以前巡礼済みなので、今回はその時把握していなかったマイナーな物件が目的です。
ひとつは、ノリタケがまだ日本陶器として操業していた頃に使われていた古い単独窯。
もちろん今は使われていませんが、モニュメントとして森の端の方にひっそりと残されています。
もうひとつは、隣にあるノリタケの工場内に残る危険品庫。
もともとノリタケの森はこの工場の敷地の一部を公園化したものですが、これは公園化されなかった側に残る唯一のレンガ物件だそうです。
もっとも、危険品庫というのは個人的な推測で、実際中に何が入っているのかはわかりません。
【名称】旧日本陶器本社工場単独窯および ノリタケカンパニー危険品庫
【住所】愛知県名古屋市西区則武新町
【建築年代】不明
【訪問日】2012年8月15日
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2013年1月31日木曜日
2013年1月30日水曜日
2013年1月29日火曜日
旧三井名古屋製糸場・・・赤レンガ巡礼【47-2-6】
2012年8月15日。
引き続き名古屋市内の物件です。
北区を流れる堀川沿い建つかつて紡績工場だった建物。
掘川沿いにはこのような建物が数多く建ち並んでいたそうですが、この建物以外は全て姿を消してしまいました。
それにしても以前から色が変だと思っていましたが、実際見てみたら何か塗料が塗られているようです。
劣化防止の為かもしれませんが、これではレンガ本来の風合いが台無しです。
因みにここには鯱バスの本社があり、件の物件は従業員寮として使われていましたが、この約1ヶ月前に本社を移転したようで、寮自体もすでに使われていないような感じでした。
その後どうなったか気になって調べてみると、10月には解体工事が始まっていたとの情報が・・・。
大変残念ですが、もしかするとこの物件は既に存在しないかもしれません。
【名称】旧三井名古屋製糸場
【住所】愛知県名古屋市北区柳原
【建築年代】1895~1897年
【訪問日】2012年8月15日
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引き続き名古屋市内の物件です。
北区を流れる堀川沿い建つかつて紡績工場だった建物。
掘川沿いにはこのような建物が数多く建ち並んでいたそうですが、この建物以外は全て姿を消してしまいました。
それにしても以前から色が変だと思っていましたが、実際見てみたら何か塗料が塗られているようです。
劣化防止の為かもしれませんが、これではレンガ本来の風合いが台無しです。
因みにここには鯱バスの本社があり、件の物件は従業員寮として使われていましたが、この約1ヶ月前に本社を移転したようで、寮自体もすでに使われていないような感じでした。
その後どうなったか気になって調べてみると、10月には解体工事が始まっていたとの情報が・・・。
大変残念ですが、もしかするとこの物件は既に存在しないかもしれません。
【名称】旧三井名古屋製糸場
【住所】愛知県名古屋市北区柳原
【建築年代】1895~1897年
【訪問日】2012年8月15日
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2013年1月27日日曜日
2013年1月25日金曜日
鍋屋上野浄水場第1ポンプ室・・・赤レンガ巡礼【47-2-5】
2013年1月24日木曜日
東山配水場旧計量室・・・赤レンガ巡礼【47-2-4】
2012年8月15日。
武豊町から再び名古屋市に戻りました。
日本国内には多くの歴史的レンガ物件がありますが、その中には立地的に見る事が困難な物件も少なくありません。
この物件もそのひとつ。関係者以外立ち入れない配水場の敷地内に建っている為、普段は某所からフェンスや植え込み越しに遠望するしか手段がありません。
しかもここは手前にマンションが建っている為、何度もカメラを構えると不審者と間違われそうでドキドキしてしまいます。
別に悪い事をしているつもりはありませんが、無用なトラブルだけは起こしたくないものでございます。
【名称】東山配水場旧計量室
【住所】愛知県名古屋市千種区田代町四観音道西
【建築年代】1914年
【訪問日】2012年8月15日
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武豊町から再び名古屋市に戻りました。
日本国内には多くの歴史的レンガ物件がありますが、その中には立地的に見る事が困難な物件も少なくありません。
この物件もそのひとつ。関係者以外立ち入れない配水場の敷地内に建っている為、普段は某所からフェンスや植え込み越しに遠望するしか手段がありません。
しかもここは手前にマンションが建っている為、何度もカメラを構えると不審者と間違われそうでドキドキしてしまいます。
別に悪い事をしているつもりはありませんが、無用なトラブルだけは起こしたくないものでございます。
【名称】東山配水場旧計量室
【住所】愛知県名古屋市千種区田代町四観音道西
【建築年代】1914年
【訪問日】2012年8月15日
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2013年1月20日日曜日
旧中埜銀行武豊派出所・・・赤レンガ巡礼【47-2-3】
2012年8月15日。
武豊町の物件をもうひとつ。
現在JR武豊線の終点は武豊駅ですが、昔は更に南東方向に線路が延びており、現在中山製鋼所がある辺りに武豊港駅がありました。
周辺にはかつての港の繁栄を偲ばせる建物がいくつか残されていますが、この物件もそのひとつ、 旧中埜銀行武豊派出所でございます。
ただ、真夏に訪ねたのは失敗でした。
ツタが茂り過ぎて肝心のレンガが殆ど見えません(笑)
この面もビッシリ。
葉のない時の写真はこちらのブログで見る事ができます⇒前村記念博物館ブログ
因みに中埜銀行とはミツカンの創業家である中野(後に中埜と改字)一族が設立した銀行だとか(ミツカンのHPより)。
その後幾多の銀行再編を繰り返しましたが、現在で言うと三菱東京UFJ銀行の源流のひとつになるそうです。
それにしても気になるのが屋根の上。
このお方はどなた???
【名称】旧中埜銀行武豊派出所
【住所】愛知県武豊町里中
【建築年代】不明
【訪問日】2012年8月15日
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武豊町の物件をもうひとつ。
現在JR武豊線の終点は武豊駅ですが、昔は更に南東方向に線路が延びており、現在中山製鋼所がある辺りに武豊港駅がありました。
周辺にはかつての港の繁栄を偲ばせる建物がいくつか残されていますが、この物件もそのひとつ、 旧中埜銀行武豊派出所でございます。
ただ、真夏に訪ねたのは失敗でした。
ツタが茂り過ぎて肝心のレンガが殆ど見えません(笑)
この面もビッシリ。
葉のない時の写真はこちらのブログで見る事ができます⇒前村記念博物館ブログ
因みに中埜銀行とはミツカンの創業家である中野(後に中埜と改字)一族が設立した銀行だとか(ミツカンのHPより)。
その後幾多の銀行再編を繰り返しましたが、現在で言うと三菱東京UFJ銀行の源流のひとつになるそうです。
それにしても気になるのが屋根の上。
このお方はどなた???
【名称】旧中埜銀行武豊派出所
【住所】愛知県武豊町里中
【建築年代】不明
【訪問日】2012年8月15日
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2013年1月19日土曜日
国道504号
2013年1月3日。
国道504号を西へ。
国道504号は鹿児島県内を鹿屋市から出水市まで結ぶ一般国道。
鹿児島空港へのアクセス路でもあるため概ねよく整備されており、北薩横断道路として建設されているパイパス区間は高速道路並みの自動車専用道になっております。
そんな国道504号に唯一残された酷道区間。
名だたる有名酷道と較べたら酷の度合いはそれほどでもありませんが、バイパス区間と同じ国道とは思えないほどの格差が楽しくてしかたありません(笑)
一般的にはこういう区間を解消するためバイパス化を進めているのでしょうけど、こういう道がどんどん消えていく事が個人的には少し残念でございます。
国道504号を西へ。
国道504号は鹿児島県内を鹿屋市から出水市まで結ぶ一般国道。
鹿児島空港へのアクセス路でもあるため概ねよく整備されており、北薩横断道路として建設されているパイパス区間は高速道路並みの自動車専用道になっております。
そんな国道504号に唯一残された酷道区間。
名だたる有名酷道と較べたら酷の度合いはそれほどでもありませんが、バイパス区間と同じ国道とは思えないほどの格差が楽しくてしかたありません(笑)
一般的にはこういう区間を解消するためバイパス化を進めているのでしょうけど、こういう道がどんどん消えていく事が個人的には少し残念でございます。
2013年1月18日金曜日
豊石神社煉瓦蔵・・・赤レンガ巡礼【47-2-2】
2012年8月15日。
名古屋から一旦南下して武豊町へ。
国道沿いの小さな神社。
境内に小ぶりな蔵があります。
どういう用途に使われているのでしょうか。
扉が閉じられているので、何がしまわれているのかよくわかりません。
裏にはうっすらコケが。
建築年代も不明ですが、おそらくそれなりに古い物なのだと思われます。
【名称】豊石神社煉瓦蔵
【住所】愛知県武豊町明神戸
【建築年代】不明
【訪問日】2012年8月15日
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名古屋から一旦南下して武豊町へ。
国道沿いの小さな神社。
境内に小ぶりな蔵があります。
どういう用途に使われているのでしょうか。
扉が閉じられているので、何がしまわれているのかよくわかりません。
裏にはうっすらコケが。
建築年代も不明ですが、おそらくそれなりに古い物なのだと思われます。
【名称】豊石神社煉瓦蔵
【住所】愛知県武豊町明神戸
【建築年代】不明
【訪問日】2012年8月15日
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2013年1月16日水曜日
2013年1月15日火曜日
中京倉庫・・・赤レンガ巡礼【47-2-1】
2012年8月15日。
昨年の盆休み最終日です。
この日は名古屋市とその近郊を巡りました。
名古屋市熱田区の中京倉庫。
ここは旧陸軍の兵器工場だった所です。
規模の大きな物件なので、見た事ある人も多いのではないでしょうか。
ここは敷地内を覗ける場所が限られてるため内部の様子がよくわかりませんが、どうやら他にもいくつかレンガ物件が残されているようです。
上の物件を別の角度から。
できれば敷地の奥も見てみたいものでございます。
【名称】中京倉庫/旧陸軍第三師団熱田兵器廠
【住所】愛知県名古屋市熱田区六野
【建築年代】1904年頃
【訪問日】2012年8月15日
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昨年の盆休み最終日です。
この日は名古屋市とその近郊を巡りました。
名古屋市熱田区の中京倉庫。
ここは旧陸軍の兵器工場だった所です。
規模の大きな物件なので、見た事ある人も多いのではないでしょうか。
ここは敷地内を覗ける場所が限られてるため内部の様子がよくわかりませんが、どうやら他にもいくつかレンガ物件が残されているようです。
上の物件を別の角度から。
できれば敷地の奥も見てみたいものでございます。
【名称】中京倉庫/旧陸軍第三師団熱田兵器廠
【住所】愛知県名古屋市熱田区六野
【建築年代】1904年頃
【訪問日】2012年8月15日
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2013年1月13日日曜日
2013年1月11日金曜日
和食処角一亭・・・赤レンガ巡礼【47-1-8】
2012年8月14日。
この日最後は飛騨高山を訪ねました。
観光地としてメジャーな飛騨高山。
その中でもとりわけ人通りの多い「重要伝統的建造物群保存地区」にある和食処角一亭。
蔵を改装した事は一目瞭然ですが、元はこの奥にある日下部味噌醤油醸造の醤油仕込み蔵だったそうです。
お店のHPによると「朴葉味噌の専門店は、世界に一軒!角一亭だけ」だとか。
食に関しては無頓着ですが、時にはこういうところでゆっくり食事をしてみたいものでございます。
【名称】和食処角一亭/旧日下部味噌醤油醸造レンガ蔵
【住所】岐阜県高山市上一之町
【建築年代】1905年頃
【訪問日】2012年8月14日
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この日最後は飛騨高山を訪ねました。
観光地としてメジャーな飛騨高山。
その中でもとりわけ人通りの多い「重要伝統的建造物群保存地区」にある和食処角一亭。
蔵を改装した事は一目瞭然ですが、元はこの奥にある日下部味噌醤油醸造の醤油仕込み蔵だったそうです。
お店のHPによると「朴葉味噌の専門店は、世界に一軒!角一亭だけ」だとか。
食に関しては無頓着ですが、時にはこういうところでゆっくり食事をしてみたいものでございます。
【名称】和食処角一亭/旧日下部味噌醤油醸造レンガ蔵
【住所】岐阜県高山市上一之町
【建築年代】1905年頃
【訪問日】2012年8月14日
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関埼灯台
2013年1月2日。
佐賀関まで来たら半島の先端まで行きたくなるのが自然な流れでございます。
ここは九州と四国が一番接近する場所。
天気が良ければ対岸の佐田岬が見えるのですが、残念ながらこの日は霞んで見えませんでした。
※向こうに見えているのは高島です
遊歩道の階段を延々下り、灯台まで行ってみました。
灯台と言うと聳え立つイメージがありますが、ここの灯台はご覧の通り。
ここがすでに高台なので、無理に灯台を高くする必要が無いのでしょう。
詳しくは解説にて。
専門的な事はわかりませんが、この灯台がレンガ物件でない事はよくわかります(笑)
明治生まれの白亜の灯台。
図体は小さいですが、その重要性はとてつもなく大きいのであります。
佐賀関まで来たら半島の先端まで行きたくなるのが自然な流れでございます。
ここは九州と四国が一番接近する場所。
天気が良ければ対岸の佐田岬が見えるのですが、残念ながらこの日は霞んで見えませんでした。
※向こうに見えているのは高島です
遊歩道の階段を延々下り、灯台まで行ってみました。
灯台と言うと聳え立つイメージがありますが、ここの灯台はご覧の通り。
ここがすでに高台なので、無理に灯台を高くする必要が無いのでしょう。
詳しくは解説にて。
専門的な事はわかりませんが、この灯台がレンガ物件でない事はよくわかります(笑)
明治生まれの白亜の灯台。
図体は小さいですが、その重要性はとてつもなく大きいのであります。
2013年1月10日木曜日
旧城端醤油培菌室・・・赤レンガ巡礼【47-1-7】
2012年8月14日、砺波平野を南へ。
子供の頃教科書で見た「散居村」と呼ばれる独特の景観の中を暫く走ると城端の街に辿り着きます。
その城端の街で古くから醸造業を営む城端醤油の旧培菌室。
醸造については素人なのでよくわかりませんが、培菌室と言うくらいですから醸造に必要なカビを培養する為の施設だったのでしょう。
現在は別の所に工場があるのでこの建物も別の目的で使われていると思われますが、赤レンガと六角に城のマークが古い街並みの中で独特の存在感を放っているのでございます。
【名称】旧城端醤油培菌室
【住所】富山県南砺市城端
【建築年代】1919年頃
【訪問日】2012年8月14日
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子供の頃教科書で見た「散居村」と呼ばれる独特の景観の中を暫く走ると城端の街に辿り着きます。
その城端の街で古くから醸造業を営む城端醤油の旧培菌室。
醸造については素人なのでよくわかりませんが、培菌室と言うくらいですから醸造に必要なカビを培養する為の施設だったのでしょう。
現在は別の所に工場があるのでこの建物も別の目的で使われていると思われますが、赤レンガと六角に城のマークが古い街並みの中で独特の存在感を放っているのでございます。
【名称】旧城端醤油培菌室
【住所】富山県南砺市城端
【建築年代】1919年頃
【訪問日】2012年8月14日
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2013年1月8日火曜日
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